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鞍手町再発見(史跡)

ガイドマップ

 古門窯跡(ふるもんかまあと)1972(昭和47)年11月18日 指定

<県指定史跡>
昭和47年、鉱害復旧工事に伴う土取りの際に発見されたもので、窯跡は6基が確認されています。やや急な斜面を利用して構築され、幅約3m、長さ10~17mで、窯内部の高さは約1.7mです。床の作り直し面が数回確認されていることから(1~3号窯)、複数回の窯の使用が推定できます。出土した須恵器から推定して、6世紀後半から7世紀にかけて操業していたと考えられます。

古門窯跡

 古物神社(ふるものじんじゃ)

伊藤常足(いとうつねたり)は、古門(ふるもん)にある古物神社(もと剣神社・八幡神社、明治4年改称)神官の家に生まれました。

古物神社

 伊藤常足旧宅(いとうつねたりきゅうたく)1995(平成7)年1月9日 指定

<県指定史跡>
天明6(1786)年11月、国学者伊藤常足が13歳の時に建てられたものです。平成元~2年、ふるさと創生事業によって整備するまでの間、数回の増改築が行われていましたが、残されていた屋敷図などをもとに復元が行われました。神職の家ではありますが、一般的な農家の構えで、広い土間、牛舎も付設されていました。

伊藤常足旧宅

 古月横穴(ふるつきよこあな)1932(昭和7)年10月19日 指定

<国指定史跡>
大正15(1926)年に発見された横穴は、現在までに41基が確認されています。古墳時代後期の6世紀後半から7世紀に使われたこれらの墓群は、丘陵の斜面に造られています。墓室内部壁面に装飾された横穴墓は3基で、2号基、6号基には内容が不明の線刻による文様、9号基には朱の彩色のある斜格子の文様が描かれています。また、9号基、12号基の上部には、墳丘があります。

古月横穴

 鎧塚古墳群(よろいづかこふんぐん)1972(昭和47)年4月15日 指定

<県指定史跡>
新延剣神社境内にある5基の円墳で、古墳時代の5世紀代の墓と考えられています。名のいわれは日本武尊(やまとたけるのみこと)が熊襲(くまそ)との戦いから帰る途中に、この地に鎧を納めたという言い伝えによるものです。1号墳は直径38メートル、高さ5メートル、竪穴式石室の古墳で、円筒埴輪(えんとうはにわ)が出土しています。2号墳、3号墳、5号墳の内容はあまりわかっていません。4号墳は高さ3メートル、直径15メートルで竪穴系横口式石室の古墳です。
鎧塚古墳群

 新延大塚古墳(にのぶおおつかこふん)1972(昭和47)年11月18日 指定

<県指定史跡>
遠賀川流域で最大規模といわれる横穴式石室は全長12メートル、玄室の高さ約4メートルの大きさです。石室の奥壁、両側壁には高さ2メートル、幅3メートルの花崗岩が使われ、天井に向かってドーム上に石が積み上げられています。古墳時代の6世紀後半の円墳で、直径が約30メートルあります。出土遺物は鉄製の馬具(鞍、鐙(あぶみ)、杏葉(ぎょうよう)など)、須恵器などで、石室の規模、出土遺物から考えて、相当の権力を持った豪族の墓であったことが想像できます。

新延大塚古墳

 剣岳自然公園(つるぎだけしぜんこうえん)

鞍手町のほぼ中央にある剣岳(つるぎだけ)はその山容から鞍手富士と愛称されています。眺望のよい山頂には、応仁時代(1467年~1469年)、梅野土佐(うめのとさ)によって築かれた城跡の一部が残っており、町民の憩いの場ともなっています。山懐には、八剣神社があり、山麓には中山身代り不動尊があって、山頂まで登山道路で結ばれています。

剣岳自然公園

 長谷寺火葬墓群(はせでらかそうぼぐん)1992(平成4)年9月2日 指定

<県指定史跡>
昭和62年、長谷観音収蔵庫建設に伴う事前確認調査の際に発見された遺跡です。遺跡は丘陵の先端に位置し、約500平方メートルの範囲にあります。墓の構造は約90センチメートル四方を石で囲み、その中に火葬した骨を納めたもので、3段に造成した面に連続して連なった墓は204基あります。その中には五輪塔(ごりんとう)も含まれています。出土遺物より鎌倉時代から室町時代の遺跡と考えられます。

長谷寺火葬墓群

 鞍橋神社(くらじじんじゃ)

「くらて」の発祥については諸説がありますが、伊藤常足(いとうつねたり)の太宰管内誌(だざいかんだいし)に日本書紀を引用した鞍手の地名考があり、それによりますと欽明天皇(きんめいてんのう)の時、百済(くだら)を救援に行った筑紫国造(ちくしのくにのみやつこ)が強弓の使い手で、敵の騎馬兵の鞍の骨を射抜くほどであった。その働きにより敵の包囲から脱れた百済の威徳王(いとくおう)がその功を称えて鞍橋君(くらじのきみ)の尊称をおくった。鞍橋は矩羅膩(くらじ)と読んで鞍骨のことであり、この「くらじ」が訛(なま)って「くらで」というようになった、と記されています。長谷の飯盛山にその鞍橋君を祀る鞍橋神社があり、土地の人は「くらじさん」といっています。

鞍橋神社

 六ヶ岳(むつがだけ)

本町南部の山岳で、旭岳を最高峰として天冠、羽衣、高祖、崎戸、出穂の六峰を六ヶ岳と呼んでいます。旭岳の山嶺で直方市と宮若市に接していますが、頂上では、はるか英彦山や響灘も眺望できる絶景地で、毎年6月には登山日を定めて直方市と宮若市と鞍手町の三方から一斉登山が行われています。天孫瓊々杵尊(ににぎのみこと)の御陵といわれる可愛の陵は、伝説によると、第一峰旭岳に尊のなきがらを、第二峰天冠山には冠を第三峰羽衣岳には衣を埋葬し奉るとあり、山々の神秘性とロマンに想いを馳せさせます。六ヶ岳を古代は崎戸山といい、宗像(むなかた)の三女神は崎戸山に天降り、その後宗像に移り住まわれたとあり、山麓の六嶽神社の祭神はこの三女神であり、土地の人は三柱様と称えています。

六ヶ岳

 

 

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