鞍手町再発見(文化財)
永谷万年願盆綱引き(ながたにまんねんがんぼんつなひき)1971(昭和46)年3月1日 指定
<町指定文化財>
慶安3年(1650年)の頃、この地方は飢餓にみまわれ、悪疫が流行しました。この惨状に博多の豪商白水幽心が、私財を投じて人々を救済しました。幽心の死後、その恩恵を忘れず、また、先祖の菩提に供えるために万年願をかけた盆綱引きが行われるようになったといわれます。毎年8月14日の夜には、永谷の真教寺山門前で永谷地区が上組と下組に分かれて籐かずらで作った大綱引きが盛大に行われます。
剣神社御遷宮行列(つるぎじんじゃごせんぐうぎょうれつ)1971(昭和46)年3月31日 指定
<町指定文化財>
御遷宮は4年毎に行われ、10月17日の日没とともに神事の後に神輿(みこし)が神社を出立し、御神幸に従って大名行列が整えられます。大名行列は、御遷宮に従い、お潮井取りの神事の間は待機し、お潮井取りが終わると、行列を仕立てて、「エーイ、エーイ」の掛け声とともに、木月の町筋をゆっくりと練り歩いて剣神社(つるぎじんじゃ)へと戻ります。
山ヶ崎道中楽(やまがさきどうちゅうがく)1971(昭和46)年3月1日 指定
<町指定文化財>
5年毎に行われる八剣神社(やつるぎじんじゃ)の遷宮祭のなかで山笠などの行列の中に楽を奏でる一行が山ヶ崎道中楽です。篳篥(ひちりき)、龍笛(りゅうてき)、太鼓の三曲よりなるこの楽は、遠く明和(1764年~1771年)のころより山ヶ崎の氏子によって代々伝えられています。
伊藤常足遺品(いとうつねたりいひん)1960(昭和35)年8月16日 指定
<県指定文化財>
江戸時代後期の国学者伊藤常足(いとうつねたり)は安永3(1774)年、古物神社(ふるものじんじゃ)神官の家に生まれました。生涯を教育と研究に捧げた常足の業績は大きく、約7600点の古文書、掛軸、遺品が残されています。代表作は37年の歳月を費やして完成させた『太宰管内志(だざいかんだいし)』82巻で、九州全域の地誌がまとめられています。教育面では古門(ふるもん)の家塾や下関、芦屋、植木などに設けられた教授所で藩士、神官、僧などのほか、幅広い階層の人々に国学や和歌を教えています。昭和35年に伊藤常足関係の書籍、遺品、墓地が県の文化財として指定されています。
中山身代わり不動尊(なかやまみがわりふどうそん)1904(明治37)年2月18日 指定
<国指定重要文化財> (木造不動明王及二童子像)
正式名称を「木造不動明王及二童子像」といいます。明治36年高村光雲によって認められた本尊の由来は不明ですが、神仏習合の信仰による、八剣神社との関連が考えられます。平安時代後期の作と思われる本尊は、虫害や損傷などで痛ましく朽ちて歴史の流れを感じさせますが、力強い怒りの形相(ぎょうそう)に堂々とした迫力があります。両脇の二童子は優雅な曲線の造形で、本尊と三位一体の調和の美しさがあります。
八剣神社湯立神楽(やつるぎじんじゃゆたてかぐら)1971(昭和46)年3月31日 指定
<町指定文化財>
湯立神楽(ゆたてかぐら)は大神楽の一部であり、八剣神社(やつるぎじんじゃ)の記録によれば天正年間(1573年~1591年)から奉納されていたと記され、日本武尊(やまとたけるのみこと)を祭神としています。毎年10月21日前後の夜、拝殿前に祭壇をつくり、湯釜をのせた大きな三脚の下で火を焚き、里神楽が奉納された後で、熱湯でのお祓いがあり、湯立がすめばただちに炭火を踏む火渡りが行われ、無病息災を祈る熱きおもいが夜気にみなぎります。
高木薬師如来(たかぎやくしにょらい)1972(昭和47)年6月6日 指定
<町指定文化財>
本尊は古来から「長谷の観音、高木の薬師」と並び称されてきました。古い記録によると寛弘5年(1008年)この辺りに流行した疫病を止めるために僧・永斎(えいさい)が彫り、真言の密法を修めたものと伝えられています。
十六神社のクスノキ(じゅうろくじんじゃのクスノキ)1998(平成10)年4月1日 指定
十六神社参道の右手にあります。根まわりの大きさは15メートル85センチメートル、樹高約21メートル、枝張りは東西、南北ともに約21メートルです。根元は朽ちて、約13平方メートルの大きな空洞があいていますが、樹勢は良好で、毎年初夏にはみずみずしい若葉を繁らせます。樹齢(じゅれい)は数百年と推定されています。
六嶽神楽(むつがたけかぐら)1971(昭和46)年3月31日 指定
<町指定文化財>
六嶽神社(むつがたけじんじゃ)は宗像(むなかた)三女神降臨の神話を持つ六ヶ岳の山麓にあって、神社の春祭りに六嶽神楽が奉納されます。この地方の神楽の起こりは、直方多賀神社の神官であった青山大炊守敏文が京都に上ぼり御所に奉奏されていた御神楽を学び、各地の神官に教えたのが始まりであるといわれています。現在では、室木在住の船津加津美さんを中心に継承され子ども神楽座が育成されています。
長谷観音(はせかんのん)1904(明治37)年2月18日 指定
<国指定重要文化財> (木造十一面観音立像)
正式名称は、「木造十一面観音立像(もくぞうじゅういちめんかんのんりつぞう)」といいます。長谷観音建立のいわれは、行基の作をはじめとして、いろいろな説がありますが、専門家の説によれば11世紀の初頭に地方の仏師が地産の樟で彫刻したものともいわれています。平安時代前記の様式を受けた、九州で最も古式で気品のある美しい姿です。樟材を使い、頭頂から台座の蓮肉部まで一木で造られています。像の背部には樟材の一枚板の舟形をした彩色光背が置かれています。なお、ご開帳は春の大祭4月17日・18日、秋の大祭10月17日・18日に行われます。
長谷の三尊檜(はせのさんそんひのき)2009(平成21)年4月1日 指定
<町指定文化財>
長谷の三尊檜(はせのさんそんひのき)は国の指定文化財、木造十一面観音像が祀られている長谷寺。その境内の最上部にあるお籠り堂の両側に3本の檜(ひのき)。これらの樹の推定樹齢は150年。木の名称は「長谷の三尊(さんぞん)檜(ひのき)」。それぞれの木は「観音(かんのん)の檜(1号木)」、「弥陀(みだ)の檜(2号木)」、「勢至(せいし)の檜(3号木)」と名付けられました。
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